2001.6.09 |
何度目かの挑戦 |
ご存じのように、私には娘がいる。 よくあることだけど、私にも、娘に対する夢があったのね。 その一つが、『ピアノを弾けるようになってほしい』、だった。 当然といえば、当然の希望。 いや、期待、かしら…。 だってだって。 6歳の頃、私が生まれて初めてさわった『ピアノ』は、1オクターブちょっとしかない、おもちゃのグランドピアノだった。 お隣のうちが引っ越して、もういらないからと残していったおもちゃの中に、そのピアノがあった。 がらんとした部屋の床に座り込んで、キンキンするドレミをそっと叩いてみた。 私の記憶の中に、セピア色の空気に包まれて、その情景が残ってる。 おもちゃのピアノが、中古のオルガンになって、中古のアップライトピアノになって…。 大学に入ってようやく、手にしたのがグランドピアノだった。(音大生の必需品、みたいなものだったから) それなのにね。 うちの娘には、生まれたときから、手の届くところにグランドピアノがある。(ま…それは仕方ないんだけどね) 音大に行かせたいなんてことは、夢にも思わないけど、せめて、趣味でピアノを弾けるようになったらいいなあ…。 新米ママとしては、やっぱり、当然の願い、だと思うのね。 大学を出た後、1年くらい、とある幼稚園の教室を借りて、5〜6人の生徒さんを預かってたことがある私は、自分の娘には、どうにかして、ピアノを弾いてほしかった。 娘が3歳になった頃だったか…。 私は、娘のピアノのレッスンを始めることにした。 「いーい? ピアノの時は、ママじゃなくて、先生って呼ぶのよ? 自分の子供に教えるのは難しいって、いろんな先生が言うのを知ってたから、私なりに考えて、けじめをつけようとしたのだった。 背も小さく、もちろん手も指も小さかった娘は、けっこうすじがよかった。 右手のドレミ、左手のドシラくらいまで、なんとか読めるようになって、2ヶ月くらい、週1回のレッスンを続けていたのだけど。 ちょうどそのころ、我が家には引っ越しがあった。 新しい家、新しい環境、なんだかとてもばたばたしてしまって。 うちに慣れた頃には、娘は幼稚園に入ってしまった。 幼稚園から帰ってくると、毎日、何かしら予定が入ったりして。 お友だちと遊ぶ時間も大事にしたい、なんて思っていたら、気がついたら、ピアノのレッスンをしなくなって、ずいぶん時間がたっていた。 「せっかくここまでやったのに…」なんて言いながら、もう一度、最初から練習を再開した。 3歳の小さい子と、5歳になった幼稚園児とでは、こっちの構え方も違ってしまったのね。 前にできたことだと思うと、忘れてしまったのが残念で悔しくて。 ついつい、小言を言うことが多くなり、娘、ピアノのレッスンが嫌いになってしまった。 「ピアノお? やだあ。」 そんな娘をなだめすかし、レッスンをしようとしても、お互い、とても無理があった。 「なに、その態度は。ちゃんと弾きなさい。」 「もう忘れちゃったの? なんでよ。」 etc…。 そのうち私も切れまくり、娘も仏頂面になって、「もうピアノ弾かなくていい!」と叫ぶ私に、べそをかく娘という、最悪の構図になった。 幼稚園のお遊戯会で、合奏があってね。 ピアノを習ってる子が、メロディオンを弾いたりしてた。 娘は、1年目がトライアングル。(それも自分で志願したらしい…) 2年目が、鉄琴(右手だけで叩く)だった。 「ママの娘なのにねえ」と、口元まででかかった言葉を飲み込んで、お遊戯会でがんばった娘をほめた。 おもちゃのキーボードを使って、めちゃくちゃに音を出す娘に、イライラしたこともあった。 私がピアノを弾いてるそばにきて、ピアノを弾きたそうにする娘に、厳しく言い放った。 「ピアノにさわっちゃだめ。ちゃんと練習して、弾けるようになるまでは、自分のキーボードだけにしなさい。これは、ママの宝物なんだからね。」 興味がある時に、さわらせるべき、だったんだろうか。 でも私には、どうしても許せなかった。 両親が、期待を込めて買ってくれたグランドピアノだったから、子供のおもちゃには、することはできなかった。 小学生になった娘、学校でメロディオンを習うようになり、みんなで合奏をしたりしていた。 見ていると、一本指で弾いたり、めちゃくちゃな指使いで、音を出したりしていた。 「ピアノ、弾けるといいのにね。○○ちゃんも△ちゃんも、ピアノ習ってるんだよ?」 「いいの。ひけなくて。」 完全に私のレッスンがいやになったらしい娘、頑として首を縦に振らなかった。 きっかけはなんだったか…。よく覚えていないんだけど、ピアノの話になった。 そうそう、冬の、子供会のアイススケートの話題から、かもしれない。 練習すれば、何でもできるようになる。まして、小さい頃にできたことなら、ちゃんと練習すれば絶対にできるようになる。 「ピアノ練習したら、発表会とかできるんだけどね。おばあちゃまの作ったドレスを着て、ステージの上で、ママのコンサートみたいに、たくさん拍手してもらうの、どお?」 私や妹が小さい頃、母が作ってくれた発表会用のドレスが、娘の部屋のクローゼットで眠っている。 着たくてたまらないんだけど、あれはおもちゃじゃないからと、私にさわらせてもらえないドレス。 「パパも、しぃがピアノひけるようになるのが、夢だったんだけどなあ…。」 ドレスを着て、パパにほめてもらえるかもしれない…。 ずっと逃げ回っていた娘が、これでその気になってくれた。 私も、かなり反省した。もう二度と、嫌にならせるわけにはいかない。 自分の娘だと思わずに、普通の生徒さんみたいに対応してあげなきゃ…。 (仕事だと思うと、忍耐もするし、優しくもなるしね) もう何度めかの、娘の再挑戦は、順調に始まった。 「なあんだ。ピアノ、簡単じゃない!!!」 嬉々として叫ぶ娘。 まあ、そりゃあね。3歳の時、できたところだもの。 そう言いたいのをこらえて、ほめ倒した。 「すごいじゃない。ほんと、すらすらできたね」 私にほめられて、目の前にドレス姿の自分のイメージをぶら下げられて、娘、すっかりその気になってくれた。 もしかしたら、そういう時期だったのかもしれない。 確かに、今の子供たちは、2〜3歳くらいからピアノを始めたりしてるけど。 その子によって、ちょうどいい時期ってあるはずだものね。 親の欲目が災いして、過度の期待を、娘に押しつけてしまってたのかもしれない。 少し指も強くなり、しっかり弾けるようになった娘を見ていて、改めて反省した。 早く始めればいい、ってこと、ほんとにないのよね。 週1回のレッスンなんだけど、今、娘、ピアノに燃えている。 8小節のフレーズ、覚えてしまって、暇があるごとに、ピアノの前に座って、弾きたがる。 「もう、最初からやり直さないようにしようね。」 「うん! ドレス着て、発表会をするんだもん。がんばる。」 最初の動機はどうあれ、意欲的にやってくれる娘を見ていると、ものすごく嬉しい。 もう少し難しくなったら、また壁にぶつかってしまうかもしれないけど、それはまたその時、二人で乗り越えればいいんだよね、きっと。 それにしても、娘のすじ、悪くないみたい。 「ピアノ、すきになっちゃった。とっても楽しい!」 明日も練習、がんばってくれるかしらね。 楽しみ楽しみ…。 |
2001.10.14 |
演歌のプレゼント |
2001年10月13日。 秋晴れの今日、人前結婚式と披露宴が無事に行われた。 1ヶ月前くらいから、ピアノのリクエストが入っていた。 演奏はお任せだったんだけど、余興としての歌の伴奏が数曲。 久しぶりのリクエストだったんだけど、お店の担当のTさんと、ちょっと悩んでしまって。 ジャンルが演歌だったのね。それもよく知らない曲。 楽譜があるし知ってる『君といつまでも』(加山雄三さんのね)は、問題なし。 あまりよく知らないけど、楽譜があった『奥飛騨慕情』も、なんとかクリアでしょ。 「えっと…『おしどりなんとか』っていうんですけど、知ってます?」 電話の向こうで困惑してるTさん。 「ごめん、わからない」 思わず笑いをこらえた私に「そうですよねえ」と同じく苦笑したTさん。 楽譜があるのだけ受けることにし、それ以外はお客さんにカラオケでも用意してもらうことになった。 大事なパーティーで、失敗するわけにはいかないもんね。 集まったお客さんは、親族がほとんど、それに会社の上司の方だった。 (夜からの第2部が、ご友人メインのパーティーみたい) 年代が上の方ばかりのパーティーだと、こういうレストランウェディングは、あまり経験がなかったりするのね。 自分の経験した『披露宴』と、勝手が違ったりすると、なんか落ちつかないものなのかもしれない。 進行中も、なんとなく、さわさわしている披露宴となった。 司会が、新郎の上司の方のお嬢さんで、司会のお仕事をしている方だった。 場所が違うと進行も違うし、お父さんがすぐそばで聞いてるわけで、かなり緊張したようだったけど、さすがはプロ。 はっきりしたきれいな声で、聞いていて心地よかった。 祝宴が進み、ケーキカットも行われ、いよいよ、問題の余興タイム。 1曲目が、カラオケを使った『ハワイアン・ウェディングソング』。 2曲目が、『奥飛騨慕情』だった。 元歌は男性らしいんだけど、今回は新郎のお祖母様(だったと思うんだけど)の歌だった。 ピアノのそばで歌っていただき、所々で、楽譜を見ながら私が一緒に歌ったり、「さん、はい!」と 掛け声を入れたり、歌に合わせてちょっとテンポを変えたりと、これが生伴奏のよさだな、という感じだった。 カラオケじゃ、そういう風にはできないもんね。 3曲目が、『君といつまでも』。 これは私も大好きな歌なので、安心して伴奏ができた。 あとはCDの『おしどりなんとか』だ、って安心してたんだけどね。 他の親戚の方も歌いたくなったらしく、司会者に質問をしたりしている。 ここは飛び入りコーナーじゃないんだけどなあ…(^^ゞ 『なんとかかんとか』という曲が全くわからなかったので、お店にあった唯一の演歌の楽譜を見てもらい、その中からセレクトしてもらうことにしたけど、知らない曲だと自信ないぞ…(^^ゞ さんざん迷われた結果、『夫婦春秋』という曲に決まり、ざっと見た感じ、そんなに難しそうじゃなくて、ホッとして、なんとかスムーズに伴奏することができた。 (耳でタイトルを聞いた時は、『めおとしんじゅう』かと思ってギョッとしたけど・(^^ゞ) その方が終わり、他にも歌いたそうな方がいたようだったけど、司会者がもう迷わず、先に進めてくれて安心した。 リクエストがあるパーティーって、基本的には好きなのね。 その人だけの、オリジナルのパーティーで、気持ちもこもると思うし。 演歌だから苦手、っていうことも、決してない。 言われればなんでも弾くし、楽譜があれば全然問題ないしね。 (知ってれば楽譜なくても、『水戸黄門のテーマ』弾いたけど(^^ゞ) ただ、カラオケ大会みたいになっちゃうのは、ちょっとかなあ…。 主役の新郎新婦が、困っちゃうようなパーティーは、さすがにまずいと思うしね。 終宴後、新郎新婦が、丁寧に挨拶してくれた。 「いきなりリクエストしたりして、すみませんでした。本当にお世話になりました。」 私、笑顔で答えた。 「いいえ、こちらこそ。とても思い出に残る披露宴になりましたよね。」 「すみません、個性の強い親戚で。」 新郎の言葉には、思わず笑ってしまった。 |