初めてしたアルバイトは近所のセブンイレブン。(大学3年生の時) 人と話すのが大好きで、なじみのお客さんもできたりして、接客業をやりたいなといろいろ探す。 人材派遣会社に登録し、マンションのモデルルームの受付や催事場でのアナウンスなど、 楽しく派遣のお仕事をする。 声の仕事が向いてるのでは?と、テレアポをするも、お客さんに断られるのが苦痛になり3ヶ月で挫折。 代わりに始めたビジネスホテル予約センターの電話オペレーターは、すごく楽しかった。 (声を覚えてくれるお客さんもいたりした) 大学を卒業する少し前に、フレンチレストランでのピアノ演奏という仕事と出会う。 手の届くような距離で知らない人にピアノを聴いてもらうという仕事は、私の天職だったようで 職場のスタッフにも恵まれ、5年間、楽しみながら、ピアノ演奏を続ける。 レパートリーは映画音楽・ジャズ・ポップスと幅広く、知ってる曲なら楽譜がなくても 適当に伴奏をつけるので、リクエストもしばしば。 ありがたいことに、ファン(お客さんとスタッフ)も、何人かできた…かも??? 結婚を期に、一度職場を去るも、長年のキャリアを買われ…(?)、もう一度お声がかかる。 土・日・祭日中心のブライダルやパーティーのピアニストとして演奏活動を再開する。 (…まだ6カ月だった娘と夫の当時の協力に、ほんとに感謝…) 当時、流行りになってきた、レストランウェディングを、華やかに盛り上げ 何十組のカップルに喜んでいただいてきた。 列席者の涙を見ると、ついつい目を潤ませてしまい、演奏中涙ぐむことも…。 曲の編成などすべて任されていて、お客さんのリクエストに合わせ、オリジナルの披露宴を作ったり するのが、とても楽しい仕事だった。 また幼稚園児に、リトミック(音楽遊び。歌ったりリズムに合わせて体を動かしたり)を教えていた。 友人の紹介で、F幼稚園のキッズルームで、1〜3才の子供の保育補助やリトミック教室の指導も。 ずっと夢だった『娘にピアノを教えたい』という祈りがようやく叶い、第一号の生徒は娘。 さらに生徒さんが少しずつ増え、自宅レッスン・出張レッスンと少しずつ増えた。 シャンソンのサークルで歌ってるマダムたちに、ソルフェージュ(譜読みなど)を教え始めた。 H15年12月より、市内の児童館やマンションのサークルで、月2回のリトミック教室を開始。 またH12年頃に開始した小学校PTAのコーラスサークルも、音楽会などでのステージを経験。 中学生や地域の方も参加してもらえるコーラスサークル『Musica Tutti』も始め、市の合唱祭にも参加。 「みんなで楽しくいろんな歌を」をモットーに楽しく活動を続けている。 H19年11月より、TLC(多摩ライフケアセンター)の津波氏の元で、レストランウェディングの聖歌隊 (レストランウェディングの聖歌隊&奏者)として活動を始める。 H25年8月、津波氏の体調不良でTLCが閉鎖、メンバーが潟Qストハウスに移籍。 レストラン以外にも都内の式場でのブライダル奏者として活動中。 【 Vol.3 5.に続く… 】 |